2012年12月18日
自民党大勝、雑感
おはようございます、室長です。
写真のお方をご存知でしょうか?
元日銀総裁で、バブル経済と格闘し「平成の鬼平」と呼ばれた三重野康氏です。
今年お亡くなりになられたのですが、年末だからと墓碑銘を記事にするつもりではありません。
昨日の衆議院選の記事に関連したバブリーな思い出話を紹介したいと思います。
総裁の安倍さんが、デフレ脱却、インフレと金融緩和のプレッシャーを日銀に課すと公言した自民党が、
圧倒的多数で勝利した今回の選挙は、もしかして国民の「バブルよもう一度」的な意識の現れかと思ったのです。
まさにバブル真っ只中の80年代前半、4年間の東京勤務で、バブリーな仕事に従事していた私の体験です。
当時の金融機関は金余り現象が顕著で、とにかくお金を貸す先を確保するのに必死でした。
土地神話で不動産への投資意欲は激しかったのですが、手続きや規制の面倒な銀行からの調達よりも、
金利は高かろうが金利以上の高値で売れる土地投資には、ノンバンクを使うことが一般的でした。
そのノンバンクを大口の資金運用先にしていたのが銀行です。
地上げ屋的な闇のパワーに直接銀行がタッチすることが出来ないことも、ノンバンク隆盛の原因でしたね。
1地方銀行の20代後半の1行員の私が融資する金額が、1ロットで30億円とか20億円、
当時は「外貨スプレッド融資」が主流でしたので、金利も調達+0.1%以上程度で、出来上がりが1%以下でした。
大口預金が7%以上していいましたから、市場は違えど、とんでもない金利だと言えます。
私の集金の最高金額が、小切手50億円だったことを鮮明に覚えています。
ノンバンク以外にも、大手商社やメーカー、ディベロッパーとのやり取りで、10億円単位の取引を繰り返していると、
1億以下はお金じゃない、仕事じゃないような感覚さえ生じてきたものです。
バブル後は、失われた10年とか20年と言われ、金にまみれた結果人間の大事な部分を失った時代が続きました。
そんなことも忘れ、「バブルよもう一度」と思う国民がいるのなら、
防衛軍の名の下、戦争への突入に抵抗を示さない輩の出現もあり得るでしょう、飛躍し過ぎでしょうか?
増税で煙草が400円以上になった時、昼食の弁当と同じ額であることに興醒めして、すっぱり煙草を止めた私は、
そんな国民の選択に憂いを感じております、バブル経験者の憂いです。
震災で「「絆」をキーワードにしていたはずですが、最近聞かなくなりました。
今のこの時代、1円を大事にする政治が「絆」を深めると思っているのですが・・・。
Posted by miyapake at 09:54│Comments(0)
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